「阪本龍哉が述べる、美術の歴史について-現代美術と日本-」

現代美術はもともとドイツが発祥で、第二次世界大戦後アメリカに渡った美術です。
古代ローマから、今に至るいわゆる長大な西洋美術の最新版と言えるもの、 それが現代美術なのです。
一方、日本における「美術」とは?広くとらえるなら縄文時代からでしょうか―――
土着の文化からはじまり、シルクロードから大陸の文化が流れ、それから独自の文化が熟成。
室町時代に全盛を誇り、日本独自の文化は江戸時代をもって完成した―――といえ るでしょう。
江戸時代が終わり、明治維新で西洋の文化が大量に入り、日本は近代化しました。
同時に西洋の美術も大量に入ってきたのですが・・・・
当時の西洋美術は19世紀後半、印象派により絵画の大革命が勃発し、抽象表現主義など新たな
美術の方向性に差し掛かろうとしている、そんな時期です。
日本は、その最新版の美術ではなく、少し前の写実的な絵画、技法などを、 西洋の最新の美術とみなし、「輸入」しました。
その後、 岡倉天心などの尽力により東京藝大を開校、一方で国主導による官展をはじめとす る美術公募展が起こりました。 これが今の日本の美術シーンの基礎です。
そして、もとからある日本の美術における絵画を「日本画」、19世紀初頭あたり の西洋美術の絵画を「洋画」とし、 日本の美術はねじ曲がってゆきました。
これをきっかけに、 日本の美術は、西洋の美術を輸入し続ける事で成り立つことになってきたのです。
ですから、遅れている遅れていないの話ではなく、別次元の並行世界という感じで す。
完全にローカル、ガラパゴス状態です。
ですが、美術において大事なものの一つは、そのローカル、生まれであり、 それをいかにして世界の歴史解釈の中で証明しきるかであります。
そんな中、歴史のねじ曲げにほとんど影響を受けていないものを私は一つ発見しま した。
それが「鬼瓦」です。

「鬼瓦について」

今でこそ、瓦屋根の減少により、その数も減ってはいますが、1000年以上前からその形はほとんど変わってません。
元々、鬼の原形は中国にあり、朝鮮半島を通じて日本に入ってきました。
しばらくの期間は手本を見ながら作られていましたが、徐々に日本独自の鬼瓦が作られるようになっていきました。
日本はシルクロードの最東端です。
長い年月を経て、西はローマから、東へユーラシア大陸全域の文化が日本に流れて行き、元々ある日本の土着の文化
も混じり、鬼瓦は更に進化をとげて今の姿に至りました。
鬼瓦は重要な建築資材のうちの一つであり、また、デザインとしても機能している上に、古代からの日本の歴史、
世界の歴史が全て詰まっている。
考古学的な価値もあり、古代からの日本の美術の歴史も詰まっています。
こんな素晴らしいものが古代から今に至るまでずっと家根にのっかっているのです。
一方で、瓦自体は、ガレキという言葉もあるように、どこにでもあるようなものの代名詞にもなっています。
量産品としての側面も当然存在します。
幾つもの価値が共存している不思議なもの。それが鬼瓦の魅力の一つです。

「鬼瓦と現代美術、阪本龍哉の活動」

私はコンテンポラリーアーティスト(現代美術家)として現在、ポップアートの展開をしています。
ポップアートとは、アメリカ発祥のアートで、大量消費社会を背景にしたコンテンポラリーアート(現代美術)の
ことです。
大量生産によってありふれたものをモチーフとして、様々な作家が展開していきました。
ポップアートでの代表格としては、アンディ・ウォーホルやリキテンスタインなどのアーティストがいます。
日本における大量生産品で、的確なモチーフがないか悩んでいたところ、ふと、以前から好きだった鬼瓦に目が
行きました。
日本の歴史を全て語ることのできる大量生産品、鬼瓦です。
前述の通り、鬼瓦にはいろんな要素が大昔から変わることなく詰まっています。
鬼瓦のように、量産品であることと、芸術作品であることが完全に共存しているものを作りたい、または、そういう
プロジェクトを実行したいです。
なぜなら、実は以前からずっと理想としているものだったのです。
産業として社会に流通していることが基盤にあり、その中でできた最高のものが芸術である。
という考え方が僕の中にあります。
それを実行するにあたり、まず、アート作品自体を量産品、製品として一般流通させる必要があります。
通常ならば、アート作品単品で語り継がれるものでありますが、逆をつくのです。
消費される製品の新陳代謝により語り継がれるもの。
製品として流通した「作品」を模倣して再び作品とする。というような価値の逆転。
短期間で捨てられるものにも生命を与えたいのです。
実際のプロダクトとして一般のマーケットに流通させるというプロジェクトを進行させ、既存の美術の価値観や流通
に革命をもたらしたいのです。
上記の歴史を踏まえた上での新たな一石を投じます。

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